宴もたけなわ

思い立ったら書きます。

叛逆観ました・・・(劇場通算8回目)

ってことで、4月2日発売の叛逆BD買って、4月5日暮れにようやく見ることができました。

 

お酒を飲むとトイレが近くなってしまう体質なので、7回見に行った劇場では一切飲食せずに見たのですがお家ならキリがいいシーンで一時停止できるってことで念願のお酒飲みながらの視聴です。

この時を、5ヶ月程度待ってた・・・!

 

 

お酒の力と、約4ヶ月ぶりの視聴ってこともあって、1回目ほどじゃないにしてもけっこうニュートラルな状態で楽しく観れたなあと思います。

 

それにしても、劇場で7回も観たのに、もう1回くらい劇場の大スクリーン・大音量で観ておけば良かったなあと思われてしまいました。

ほんとこの映画どんだけ好きなんだというのと、どんだけ作りこまれてるんだ。

けっこう劇場公開と違う映像もあったりして違和感少しありましたが、これも何度かBDで観てれば気にならなくなるんだろうなあ。

 

 

それと、劇場でもっかい見とけば良かったなんて思ったりもしたけど、misteriosoのシーンでは椅子から立ち上がって握りこぶししちゃってたし、家で自由に観られるっていうのも良いね。

 

 

叛逆BDはアニメイトで買ったんだけど、ついさっきいても立ってもいられなくて、前から気になってたTBS-iショップ特典の懐中時計がまだついてくるっぽいので注文してしまった・・・

アニメイトのB2タペストリーも良いけど、こういう持ち歩ける小物もいいなあって。

 

 

 

改めてこの映画について感想を書いたりすることってあんまりないかななんて思ってたけど、ほむちゃんの「今のあなたが知るはずもないけれど、私はね、「まどかを救う」。ただそれだけの願いで魔法少女になったのよ」ってセリフがビビっときた。

 

前にどっかで読んだ考察で、ほむちゃんが悪魔にならず円環の理に導かれてもいずれ別の魔法少女を利用してQBはまどかを観測・制御するようになるのでほむちゃんは自己犠牲をいとわずよくやった」って感じやつがあったのよね。

これを読んだ時、11月中旬くらいだったかな?には、そんなの結果論に思えて、ほむちゃんのワガママがたまたまQBの目論見を阻止する方向に働いたんじゃないの?って気がしてたんだよね。

 

でも、今改めて叛逆を見ると、ほむちゃんは「この時を待ってた」なんて言ってるけど、別にずううーっと前から待ってたわけじゃなくて、ソウルジェム内で魔女化した自分に気づいた時点ではマミさんや杏子に討たれる覚悟をしてて、その後にQBの目論見に気づいたから方向転換したんじゃないのかなあと思えた。

 

まどかが概念になった後の世界のマミさん・杏子・ほむちゃんの認識では、魔法少女の最後は円環の理に導かれて(ほむちゃんとしてはまどかとの再開を果たして)消滅って認識なら、自分本位であるならそれを受け入れて生命(魔法少女化してる時点で生命か不明だけど)を終えたほうが幸せなんじゃないかなって思ったんだよね。

 

でも、ほむちゃんは悪魔になることで、魔法少女になった時の願い「まどかを救う」って願いを初志貫徹した。

よくそこまで精神力がもつなあって思った。

その為には、まどかの願いに背いて、まどかの敵になるしかなくて、、、、、、それならインキュベーターというまどかを脅かす存在を排除して、まどかの最後の敵になることでまどかを救うという覚悟。

 

これ絶対ほむらちゃん辛いよね。

あのまま円環の理に導かれて、その後のことはしりませーんってしたほうが絶対楽だったし、幸せな終わり方できたよね。

 

うーん、もう何回も観てるからいまさら悶々と考えることもないかと思ってたけど、ほんとこのお話なんなんだろう・・・

 

 

見る度に色んなことを考えさせられる、本当に素敵な映画すなあ。

 

 

まったく取り留めないけど、叛逆BD視聴記念日記ということで

そして明日の世界より追記

あすせかのあの、どのルートに行っても壊れてるようなまだ壊れてないような日常を過ごすシーンがかなり長くてプレイ中は疲れたのに、振り返ってみると何か一貫した説得力があったような気がするのはなんだったんだろうなあって思ってたら、Wikipediaに答えがあった。




舞台は周囲を海に囲まれた、風光明媚な小さな島。
そんな静かな島で、主人公・葦野昴は幼馴染みや親友たちと共に静かな学園生活を送っていた。
そんなある日突然、衝撃的なニュースが飛び込んでくる。
「―この地球に3ヵ月後、小惑星が衝突し、世界は終焉する」
突然の世界の終焉を目前に彼らは戸惑い日常を失いかけるも、現実を受け入れ次第に落ち着きを取り戻し、終焉を迎えるまでの間それまでの日々が続くものだと思っていた。
しかしそんな中、一つの朗報が知らされる。
各地に地下シェルターが建造され、抽選の結果、昴がそのシェルターに入る権利を得られたのである。
目の前に生存する道が示されたことで昴と家族は歓喜するものの、シェルターに入れるのは昴のみ
それはつまり、家族・幼馴染み・親友といった自分を取り巻き形作っていた、『自分が自分でいられる』人々との別れを意味するのであった…




ふーむ・・・



自分が自分らしくいられる為の要素って人それぞれだと思うんだけど、今の僕に置き換えるならプライベートの時間の大半をあててるギター・アニメ・エロゲらへんかな。

特に娯楽のない島で家族と一緒に住んでて、夕陽や青葉たちと毎日多くの時間を共有することをとても大事にしてるがんちゃんの場合は「人」がその対象なのに、一人趣味がここで上がってしまうのは少し悲しいけど、まあ今はそれがいいたいんじゃなくて・・・



自分が助かるには、そういう上に挙げたモノがない別の環境へ行かなきゃいけないっていうだけでも相当ツライものがあると思うんだよね。でもって、それが「人」だったりしたものだから、がんちゃんはシェルターに行けば死なないで済むけど、それでもその後の生活ってどうなんだろって。

もしシェルターに行っても、残りの人生を死んだように生きる可能性だってある。


がんちゃんがシェルター行きの権利を得たと知った時の朝陽姉ちゃんたちの反応は「自分たちを覚えていてくれる人が生き残ってくれれば、自分たちの人生は無駄じゃなかったと言える」って喜んでくれてたけど、大切な人達と離れて一人生き残ったとしたら、やっぱりダメージは計り知れないし、そんな託された思いもプレッシャーになるかもしれない。


なんてことも少し考えたり。



でもって、宗一郎じいちゃんの「何も変わっとらん」論や、「釣り名人が釣った大量の魚よりも、がんちゃんが釣った小魚を分け合いたい」とか言っちゃう夕陽たちの支えがあって、誰ともくっつかないルートの最後では「弱い部分も持っている自分を受け入れた上で、島に残る」ってことが「葺野昴でいる」ことなんだって、導き出したがんちゃん。



この「自分が自分でいる」って言うのと、その為に何が必要なのかっていうのが、この作品のすごく大事なところだったんだなあと。



僕は最初、何かしらのルートでは星が落ちてくるけっこう直前で悲壮感のあるやりとりをするEDもあるのかなと思ってたけど、この作品に込められたメッセージを考えるとそんなのいらないね。うん。



そういえば朝陽姉ちゃんのルートで、シェルター行きの話が出るより前に「葺野昴でいるのはツライ?」みたいなやりとりもあったっけ。

けっこう序〜中盤で、このテーマについての話が出てきてたんだなあ、なんて思い出した。


あ、あと今思い出したんだけど、がんちゃんがパパンの竜に夜の灯台で「お前は何者だ?」って聞かれて、すごく落ち着いて自分自身のことを話すシーンがあったけど、これもそういうことだったのか!



いやー、Wikipediaのあらすじ考えた人すごいわ


CARNIVALをプレイしたので、思ったことをだらだら書いた。

3年ほど前から気になっていたものを、ようやくプレイしたー。

というのも、Twitterでやりとりしてるあんくらさんという方とお会いして話をする機会があり、その時にキラ☆キラの話をしたらCARNIVALっていうのが同じ著者の作品なんですよーって教えてもらって、その時から気になっていたのです。

まあ今回も感想のような、ただ思いついただけのような、そんなものをだら~んっと書きます。

 

 

プレイ時間は13~15時間くらいだったかな?

一つ前にプレイしたそして明日の世界よりに比べるとボリューム控えめなのと、文章にクセがあるけど自分にはそれが小気味良くて、かなりサクサクと進められた。

 

 

で、プレイし終えた時の感覚としては、ボリューム控えめだからなのかもしれないけど、そこまで感情移入できなかった。なんだか、出てくる人物それぞれ思うところがあるにしても、自分勝手なところがあったなあ。結局このお話はなんだったんだ・・・って感じでした。

3年ほど前から気になっていた身としては、前にやったキラ☆キラやSWAN SONGのほうが心にぐっと来たかなあって。

 

それと、僕は戦争ものの映画なんかで無抵抗な捕虜が腹パンされるシーンとか物理的な痛めつけシーンがけっこう嫌いなんですが、CARNIVALでも主人公が三沢先輩に殴られるシーンだったり、逆に主人公が暴力を奮うシーンがあったので、少しうごご・・・となっちゃったのよなあ。

 

 

 

主人公の学(それと武)は片親で、その母親には理不尽な暴力を奮われて幼少期を過ごし、理紗は父親に普通の親子ではない関係を求められながら育った。

うーん、さっくりと振り返ってたらみたらものすごく暗い話だなあ。

なのにそこまで暗いお話って感じがしなかったのは、あの独特な学の一人称のせいかしらん。

その独特な一人称のせいであまり感情移入できなかったというのもあるけど・・・

 

 

で、このお話は結局なんだったのか・・・

名作とか、かなり高評価な意見をちらちら目にしたことがあるので、そういう風に言われてるお話に何も自分の感想がないのはなんだか悔しいぞ。と、悶々と考えているわけだけど、、、なんだろなーなんだろなーと考えてるわけだけれど、、、「これだ!」っていう答えは出てこないなあ・・・

 

少なくとも今の自分の人生経験やモノの考え方、今回CARNIVALをプレイした精神状態では。

劇中のセリフを借りて、『答えがないのが答え。今のトコロは。』て感じかな。

こんなセリフがCARNIVALの最後のほうにたしかあったはず。

CARNIVALはほとんどセリフをメモ取らずプレイしてて、このセリフも一語一句間違えずにて訳ではないけど。

 

うーん、でも今のトコロは本当にこれでいいかなー。

またそのうちプレイし直すと違ったことを感じるかもしれないし。

もう1周プレイする楽しみが残ってていいだろうワハハと考えておこう。

 

 

 

せっかくプレイしたのにこれだけで終わるのも勿体無いので、どうして感情移入できなかったのかももう少し考えてみた。

 

前回のあすせかの感想で、醍醐味の部分ではないけど最初のほうの、ほのぼのした空気も良かったって書いてたんだけど、要するに今自分が欲しているのはこういう重いお話じゃなくてもっとほのぼのした生死が関わらないお話なのかもしれない・・・?

 

それと、このお話が最初から暗い話で始まったからかもしれないなあ。

ひぐらしでもあすせかでも、シリアスな展開の前にかなりしっかりと日常や、少なくともその時点では当たり前と思える世界を見せてくれてて、それが壊れていってしまうことに主人公たちと一緒に苦悩することで感情移入ができる作品を自分は好きになりやすいと思っているんだけど、この話はもう最初っから人殺しをして逃げるとこから始まるので、唐突すぎてそんな感じになれなかったのかも。

 

 

あとは、自分は今現在、そこまで自分の存在理由や価値を追い詰める精神状態ではないし、CARNIVALの登場人物に自己投影するような経験も今のところしていないかなって。

そして、これからそういう経験をする自分というのが、今の自分には想像できないからかなあ。

裏を返すと、このお話に同調できる人のプレイ時の精神状態か、過去の経験は、かなり重いのではないかなあってことになってしまうんだけど・・・

なんだかこれについてはぐだぐだ書くと失礼なことや、とても痛い発言になりそうなので自重しよう・・・。

 

 

あーっ、後はなんというか無理やり入れた感じのエロシーンのせいかもなあ。

今までやったエロゲのエロシーンは7割くらい飛ばしてて、エロを求めてはいないのだけど、詠美のエロシーンが何度かあるのはまあいいとして詠美の妹のマリちゃんとか、あの婦警とか、「あーっ、そうかこれはエロゲーなんだよなー!」というのを認識させられるシーンが多いこと多いこと。

おそらくそういうのがちょこちょこと入ってくるのもお話に没頭できなかった原因かもしれない・・・って、エロゲだからこれは仕方ないか。

こってり系ラーメン屋さんで脂っぽいって文句言ってるようなものだものなあ・・・w

 

 

 

後はてきとうに数少ないメモっておいたセリフとかを貼って終わろうかしらん。

 

 

木村学

 

このまま僕は駄目になってしまうのかしらん。もう既に駄目になっているのかしらん。自分が駄目になっているかどうかを、判定する自分も駄目になっているのだとしたら、一体何を基準にして考えたらいいのだろう。

 

 

 

 

学「もう、後戻りは出来ないね」

 

理紗「うん・・・そうね」

 

学「ごめん」

 

理紗「あやまらないでよ。私は平気だよ」

 

 

詠美を監禁した後のシーンで、ここは理紗もかなりおかしいなΣって思った

 

 

 

 

「うん、私もう帰らないから。大丈夫、別に友会とかじゃないし。うん、学校とか、そういうのの手続き、悪いけどよろしくね。・・・ほら、可愛い子には旅をさせろっていうじゃない。

私、やること見つけたんだ。大丈夫心配しないで。

・・・じゃあね、バイバイ」

 

彼女は携帯の電源を切る。

しかし、すぐに着信が来て、彼女は、その音がなっている携帯を、鮮やかなオーバースローで放り投げた。落ちていく携帯電話の着信音は、家族の悲鳴、呼びかけ。

叫びつづけながら川に落ち、音は聞こえなくなった。

「ほら、大丈夫!親の了承取ったよ!」

 

 

渡会さんルートで、渡会さんが学についていく事を決めて、

母親にもう帰らないことを告げる為に電話する夕暮れのシーン

キラ☆キラでも確か携帯を捨てるシーンがあったと思うんだけど、目の前のことだけに集中するんだ!って、ノーフューチャーな感じがして良いなあ。

 

 

 

 

 

詠美『私が、九条理紗・・・さんのことを、どうして気に入らなかったのか・・・』

 

武『なんで?』

 

詠美『九条さんは、学校でも人気があって、それが嫌で・・・』

 

武『嫉妬してたのか?』

 

詠美『・・・はい、そうです』

 

武『へー、でも、お前は、学校で一番人気だったんじゃねえの?』

 

詠美『・・・確かに、そうだったけど。でも、少しずつ九条さんの噂ばっかりが増えるようになって・・・』

 

武『ふん、そんなのが気になるのか』

 

詠美『・・・はい』

 

武『わかんねえけど、そんなにみんなに好かれたいの?好かれてどうしたい?』

 

詠美『どうしたい、ってことは特になくて・・・』

 

武『じゃあ、なんで?』

 

詠美『・・・みんなが関心持ってくれると、嬉しいから・・・』

 

武『なんで、嬉しいんだ?』

 

詠美『・・・だって、誰も関心持ってくれなかったら、自分にはまるで何の価値もないような気持ちになって・・・』

 

 

詠美になんで学をいじめたのか、武が尋ねるシーン

 

生きる理由を他者・外部に持ちすぎてしまうとそういうのは際限がないもので、だんだん歪んでいくのかなあと思った。

て、ふと思ったんだけど、詠美は学や理紗とは対極の価値観を持ってるような?

でもやっぱり学と理紗も狂った部分があるし、極端なのがよくない?

この詠美と学・理紗の違いを考えると、いくらかCARNIVALのテーマがあるかも??

 

 

 

 

『母さんは、結局、田舎の大地主の家で何不自由なく育ったから、会社の勤め人の苦労っていうのが、よくわからないんだ。

お父さんがどんなふうに辛いとか、わからないんだよ。理紗なら、お父さんの子だから、わかってくれるだろ?

 

父さんは、母さんの実家の人たちとか、好きじゃない。父さんの父さんや母さんも、あんまり好きじゃない。いくら父さんが頑張って出世しても、それがどういうことだかわかってもらえない。理紗だけだよ、父さんの本当の見方は。』

 

 

理紗の父が幼い理紗に愚痴るシーン。

 

幼い子供が一番多くのものを得る相手は親だと思うので、すごーくイラッとしたシーンで印象に残った。

 

 

 

 

 

泉『結局、道徳のネモトを神様にむすびつけたものだと思うよ。たとえばね・・・』

 

・・・・・・・・・・

 

泉『要するに、善悪の基準は全部絶対の神が決めて、それに従う、人間は馬鹿だから思わず間違っちゃって苦しいこともあるけど、神はそれも全部赦してくれる。苦しいことは全部告白すれば赦してくれる。っていうのが、私が感じたキリスト教の印象』

 

理紗『思ったんだけど、泉ちゃんて、キリスト教、嫌いなんだねー』

 

泉『うーん、自分で善悪を決めるのが怖い人には必要なんじゃないかしら。とりあえず、私には神様は必要ないと思うし、神様の赦しなんかいらない』

 

 

理紗に、キリスト教について聞かれた泉の回答シーン。

 

なにか「これはこうだ!」って思ったわけではないけど、気になってメモってた。

 

僕の親戚がクリスチャンなのと、高校の時の同級生で家がキリスト教の教会って人がいたので、何度か礼拝に参加したことがあるしそれこそクリスマスの礼拝にも参加したことがあるけど、ちゃんと聖書読んだことってないんだよなあ。

 

このシーンを思い返しながら少し考えを巡らせてみると、これって、罪と、救われ方について書いてある本なのかな?って思った。

 

でもって、理紗にとっての神は学って認識・・・?

うーんよくわからない。

 

CARNIVALを機に聖書に少し興味が出てきたかな。

 

あんまり内容に触れてないような気がするし感想になってるのかわからないけど、こんな感じかなー。

 

あ、ふと思い出したけどシナリオ3の幼少時の理紗支点で、和室の壁が実は上まで続いておらず天井の当たりでは吹き抜けみたいになってることに気づいてなんでか嬉しかった~みたいなやつ。

ああいう、「幼い時にはそれに気づいたことがなぜか嬉しかった」って感覚は好きだなあ。

自分もそれに近い感覚は昔もってたような気がするからかな?

あの部分の文は、読んでて心地よい感じあったかなあ。

 

 

ああ、なんだかそんなことを考えてたら、別にお話を読み終えて何か納得するモノを得る、自分の中でレベルアップ(?)したような、そんな感覚をがんばって求める必要なんて別になくて、「なんか心地よい」だけでも別にいいのかなあって気がしてきた。

 

・・・のだけど、やっぱりCARNIVALって結局なんだったんだ?って考えてみたらからこんなことを思ったわけだし、お話を悶々と振り返ってみるのは疲れたり面倒な部分もいくらかあるけどそれなりに面白い発見もあるなあと思ったところで話がまったくまとまらなくなってきたので本当にこの辺で終わろうか。

 

 

 

あ、そうそう。

お仕事場の人に聞いた話なんだけど、某国のテロリストが動画サイトにアップしてる、生きてる人質の首をチェーンソーで切る動画があって、その人質の目がものっすごい諦めた目をしてるらしい。

僕は怖くて未だに見れてないのだけど、どーにも生きる気力を無くしてしまった時はその動画を見れば、生きてるだけでもマシだな!って思えて、生きる気力が湧いてくるかもしれないから、そうなった時に見てみようと思ってる。

CARNIVALはそんな「どーにも生きる気力がなくなってしまった時にやることリスト」に加えておこうと思った。

 

たぶんこれはそんな状態の時にやると、また違ったものが見えて来そうな気がするんだよなあ。

 

そして明日の世界よりのだらだらした感想とか

もう3週間ほど経ってしまったのだけれど、そして明日の世界よりを全編プレイし終えた感想をせっかくなので書いておこうかなと。

 

このゲーム、5年くらい前に体験版をプレイしたことがありました。

でもって、つい最近SWAN SONGで世界がめちゃくちゃになってしまうお話を読んで面白かったので、こちらはどうなのかな?と思ってプレイしてみました。

 

夕陽→朝日姉ちゃん→誰ともくっつかない→青葉→御波→アフターの順番でクリアしたのだけど、各分岐の話がけっこう長い上に、もうすぐ世界が滅亡するっていう根本のテーマが同じなのでけっこう似たような葛藤が何度も出てきてすごく疲れた(汗

 

一つ一つの分岐の話はいいんだけど、「だーっ!主人公のがんちゃん、これ前にやったルートで整理が着いた感情なのにまた葛藤してるのかお前は!」みたいに思ってしまい、まどかのために何度もループするほむほむ気分が味わえましたよ・・・!

 

 

って、ネガティブな感想から入ってしまったけどちゃんと楽しい部分もあったので思いつくまま、思い出せる限りにだらだらと書いていきます。

 

まず、序盤の星が落ちてくるっていうのがわかる前のパートの雰囲気がとても良かった。

あすせかの醍醐味は自分たちが死んでしまうことがわかってからの葛藤とか、それ以前の日常との変化にあると思うんだけど、そうなる前の日常パートもすごく和んで良かったなあ。

 

がんちゃんや夕陽たちだけじゃなく、宗一郎じいちゃん、がんちゃんの両親、陽おじさんの、若者たちに対する接し方が良かったです。

 

こういう風に、見守りつつもここぞという時に教えを説いてくれる親が登場するお話を僕が知らないだけかもしれないけど、ここ最近自分が見てるアニメとかにはない感覚ですごく良かったのですよ。

 

ほんと、序盤の和やかな雰囲気は一気に読み進めるんじゃなくて、1日1時間くらいずつ大切に読み進めたくなる癒し感がありました。

 

 

んでんでんで、そんな癒しを感じる空気が一変してしまうわけですが、先に書いたようにどのルートもいくらか似たような葛藤が出てきて後に読んだルートほど既視感があって疲れました(汗

 

そういう理由もあって、やっぱり一番入り込んで読めたのは最初にやった夕陽ルートだったすな!

 

 

それじゃあメモってあるセリフを交えつつだらだら~っとあすせかを振り返ってみようと思います。

 

 

まず夕陽のセリフで一番好きなやつ!

がんちゃんシェルター行きの話が出る前のセリフでですね、

 

 

ううん、頼りたいからじゃないんだよがんちゃん。

 

じゃあ、わたしはそれでいい。

がんちゃんと一緒ならきっと幸せ。

 

 

夕陽のセリフで一番好きというか、同性異性問わず僕が考えてる人間関係の理想的なものがこれなんだけど、みんな死んで何もかも残らないってことがわかってる状況なのにそれだけがあれば気持ちが乱れないっていうのはすごいなと思いました。

すごく強い。

 

一方のがんちゃん

 

世界がガタガタと崩れていく中で、

彼女だけはあたかも何も変わらないかのようにそこにあった。

 

まるで何も起こっていないかのように。

 

彼女は微笑む。俺と居れば大丈夫なのだと。

 

それで安心なのだと。

 

だがそんな事はない。

 

俺は大丈夫ではないのだ!

 

いつも笑っている彼女も、やがて時がくればバラバラに砕かれる。

 

俺が何年もかけて大事に守ってきたこの少女は、俺を頼って、信用してなお波に砕かれる。

 

だから彼女の笑顔を見る度に、

俺は自分の無力さに耐えねばならなかった。

 

自分が彼女に何ひとつしてあげられない事実に

耐えねばならなかった。

 

 

それと、がんちゃんが夕陽に乱暴しようとしたシーンなんかもあったっけね。

プレイ中は、夕陽と違ってがんちゃんは弱いななんて思ってしまったけど、

よくよく考えてみればそれだけがんちゃんが夕陽を大切にしてきたからこその思考・行動なのだよなあとも思える。

 

科学の先生は一家無理心中してたけど、がんちゃんの行動も夕陽に対して家族と同様の思いがあったから、行き過ぎたものだけどあんな行動に出ちゃったんでしょ。そして、そこまで思ってくれるがんちゃんだから、夕陽も絶対の信頼をもってさっきみたいな言葉も出てくるんだろうなあと思った。

 

 

宗一郎じいちゃん

 

がんちゃんが酷い事と言うからには、余程の酷い事なのじゃろうな。

思い止まって何よりじゃ。

 

 

大切なものを守り通せないと解った時、そういうことをしてしまいそうになるのはがんちゃんだけではないよ。

心中した先生もそうじゃし、ワシもそうだった。

 

 

宗一郎じいちゃんの悟り開いてる感たまらないですね。

ここでがんちゃんに詳細聞かないのもいいし、ほんとかっこいいおじー様でした。

 

 

昴「じいちゃんは、奥さんを・・・その・・・殺せなかった後、一体どうやって過ごしたの?」

 

 

宗一郎「ワシは探したよ。変わってしまった部分を。」

 

昴「変わってしまったって、奥さんの病気の事とか?」

 

宗一郎「いや、ワシの事じゃ。」

 

昴「なんでさ?

変わったのはじいちゃんじゃなくて、奥さんの体と生活、じいちゃんを取り巻く世界のほうじゃない?」

 

しかしじいちゃんは首を横に振った。

 

宗一郎「ワシも最初はそう思っとった。

だから妻を手にかけようなんて考えるんじゃな、これが。」

 

 

宗一郎「しかしよくよく考えるとな、

不思議な事に世界は変わっていなかったのじゃ」

 

昴「変わってない?そんなはずは・・・」

 

宗一郎「そうかのう?我々が勝手に結末を知っただけじゃ。

知らねば妻は病気に気付かず普通に暮らし、そしてある日突然逝ったに違いない。」

 

宗一郎「世界は何もしておりゃせん。

知らねば妻をこの手で、なとどは思わんかったじゃろう。」

 

 

この考え方かっこよ過ぎるでしょ!

そうそう、この部分少しだけSWAN SONGのクワガタと尼子のやりとりに似たようなのがあったなあなんて思ったんよね。

 

 

 

実に不思議だ。

これだけ重大な話なのに、一度も出てこん。

 

そんな事じゃから

自分を見失ったままになるんじゃ。

 

そうじゃ、これだけ大事な話なのに、一向にがんちゃんが出てこん。

 

夕陽嬢ちゃんの為に。

夕陽嬢ちゃんがそう願うから。

そんな事ばかりで、

一度もがんちゃんの願いが出てこない。

 

今まで考えたことはあるかのう?

夕陽嬢ちゃんが一体自分にとってどんな少女であるのかを?

 

 

夕陽ルートの最後のほうで、最後の時が近づいているのに、自分自身の願望と向き合おうとしなかったがんちゃんの背中を力強く押す宗一郎じいちゃんのセリフ。

かーっ!痺れる。

宗一郎じいちゃんはがんちゃんが誰ともくっつかないパートでもチンピラを倒したり、かっこいいシーンがほんとたくさんありましたなあ。

 

 

朝日姉ちゃん

 

 

昴くんが生きてくれるなら、今私達がここに居る意味があるわ。

例え私達が消えても、貴方が私達をずっと先まで連れて行ってくれるもの。

 

 

私はね、本当に嬉しかったよ?

昴ちゃんが生きてくれるって解って。

 

貴方が私達を覚えていてくれる。

私達の想い出を連れて行ってくれる。

 

それが貴方の力になれば、きっと貴方は誰かの力になれる。

そうしたら、またその誰かの中に私達が生きられる。

 

世界は終わらないわ。

私達も終わらない。貴方がいるもの。

 

 

がんちゃんのシェルター行き当選がわかった時のセリフ。

初プレイの時は夕陽ルートだったから、夕陽だけしょんぼりしてて、朝日姉ちゃんと青葉は喜んでたんだっけ。

がんちゃんのシェルター行きがわかって仲間内でどうなっちゃうのかと、けっこう冷や冷やしたなあ。

 

 

青葉

 

あたしは、もう何もかも無駄だと思ってた。

努力をしても、何をしても、

もう何の意味も無いんだって。

 

けどなんとか葦野に助けられて、

みんなと一緒にやっていこうと思ってたんだ。

空元気なのかもしれないけど。

 

だけど今、その葦野が助かると解った。

それを知った時、あたしがどれだけ嬉しかったか解る?

 

ああ、これで全てに意味が生まれる。

あたしの事を覚えていてくれる人がここに居るって。

 

白黒だった風景に色が戻って来たみたいだった。

何をするにも嬉しくて、楽しかった。

貴方はきっと頑張るあたしを覚えていてくれる。

今の努力も無駄じゃないんだって。あははっ。

 

あの人達とあたし達の違いはそこ。

葦野は彼らとは時間を共有してない。

でもあたし達とは分かち合ってくれている。

 

ねぇ葦野、解る?貴方はあたし達の希望。

貴方の命はあたし達の未来。

貴方が生きていてくれれば、それだけであたし達は。

 

こんな世界でも、生きていけると思うから。

 

辛くて、悲しくて、怖くて、寂しくて。

そんな世界だけどきっと頑張っていけるから。

 

 

がんちゃんが誰ともくっつかないルートの、浅瀬でみんなではしゃぐシーンのセリフ。

このシーン良かったなあ。

で、このがんちゃんが誰ともくっつかないルートの後にプレイした青葉ルートでのセリフ↓

 

 

青葉「ねぇ、葦野。

世界が滅ぶってどういうことかな。

明日が来ない日が来るってどういうことかな?」

 

昴「明日が来るはずの世界でしか生きた事ないもんな、

俺達。そんな事想像もつかないよ。」

 

青葉「あたしはもしかしたらこのまま何も出来ずに、

何も手に入らずに、終わっちゃうのかな。」

 

 

とか・・・

 

 

青葉「何をしても、避けられない。

何をしても、やりとげられない。

終わりは避けられず、

やりたい事も、やりとげる時間がない。」

 

 

とか・・・

 

 

青葉「・・・あたし、怖い。気を抜くと、死にたくなる。

大事な人を道連れに、壊れたくなる。

何をしていても、いつのまにか

どうやって死のうかって考えてる!」

 

 

とか・・・

 

 

青葉「でも葦野、あたし怖いよ。

きっとあたし何も出来ない。

このまま終わってしまう。」

 

 

とかとかとか!!!!

けっこう間を開けないでだだだーっと誰ともくっつかないルートの後にすぐ青葉ルートをプレイしてしまったので、お前さっきまで清々しい顔で葦野はあたしたちの希望なんだとか言ってたのにめちゃめちゃ自分本位になってるじゃないですかー!ってなってしまった。

しかもそれに感化されたがんちゃんまで

 

 

気付いたんだよ青葉。

 

お前が言っていた事の意味に。

・・・確かに無駄なんだよな。

何をしても、結局みんなとのお別れの日は来る。

 

思い出なんかあればあるだけ

心が毟り取られるんだ。

 

大事に抱きかかえているから辛いんだ。

始めから何も持っていなければ、

気軽にシェルターにもいけるだろうさ。

 

 

とか言い始めちゃうし、この辺から少しほむらちゃんの気持ちがわかってきましたよ。

 

がんちゃんと仲良くなりたいけど女の子らしくすると嫌いな母親によく似てるので、自己嫌悪を抑えるために長いこと男の子のような振る舞いでがんちゃんと付き合ってこなきゃいけなかった。でも星が落ちてくる為に残り時間がなくなってしまって自分の中の禁じ手を使ってでも・・・!って葛藤があったり、青葉ルート単体で見ると面白かったし、髪を下ろした青葉かわいかったんだけど、いかんせんプレイするルートの順番が良くなかったのかもしれないなー。

 

でも青葉ルートの最後のほうのセリフでここはグッときた。

 

 

「そうするしかないだろう?

都合で出たり引っ込んだりするようじゃ、

きっとそれは嘘なんだから」

 

青葉

「それで失敗したんだもんね? あたし達」

 

「ここがどこだろうと、今がいつだろうと、

何が起こっていようとも、

きっと真実は常に変わらずそこにあるよ」

 

状況によって変わるようでは、

きっとそれは真実ではない。

 

そして変わらないからこその真実だろう。

 

 

御波

 

だから私にはいつだって

この日がやってくる覚悟がありました

 

 

あ・・・れ?

御波のセリフでメモってあるのこれしかない・・・

おそらく最後にプレイしたルートで青葉ルートに気力を奪われたから、あすせかの感想書くつもりもなくてメモってなかったんだろう。

覚えてる範囲でプレイ中に思ったことをだらーんと書く!

 

 

星が落ちてくるってわかった時の御波の全く取り乱していない感じは御波ルートでわかったんだけど、御波が強いからとか、もともと常に死を意識して生きてきたからではなくて、大切なものがなかったからなんだなあと。

 

そして、夕陽とは逆なんだなって印象を受けました。

夕陽は母→姉→がんちゃんの順で常に大切なもの、拠り所になる相手を作っていたけど、親も離婚していて幼い頃からそういうことができなかったであろう御波が、がんちゃんと恋仲になったとしていきなり夕陽みたいな考え方にはなれないのもきっと普通なんだろうなとも思ったり。

 

あと美波は口をぷくーってする立ち絵とかかわいかったっすな!

 

 

てきとうな感じになってしまったけど、とりあえずこんな感じで!

全ルートやり直すのは内容がヘヴィだけど、夕陽ルートか誰ともくっつかないルートはまたそのうちやりたいなっ。

 

 

襲ってきた島民とか石を投げてきた漁協の人とか、他にも細々した話題はあるのだけれど、こうやって振り返ってたら青葉ルート以降をやった時の疲れがぶり返してきたのでここまでにしておこう!

 

 

それと、最初の夕陽ルートの最後は「ありゃ、ここで終わり?」って思ったけど、アフターの話があったのは良かったなあ。

 

アフターで出てきた男の人、最初がんちゃんなのかと思ったよ。

 

車輪の国、向日葵の少女の感想

車輪の国、向日葵の少女をプレイしたので感想というか思ったことというか、を書きます。

 

面白い、という評判だけはずっと前から聞いていたのと、数少ない僕が遊んだエロゲの中でも初めてプレイしのがG線上の魔王だったので同メーカーの前作として、ずっと気にはなっていたのをようやくプレイしました。

 

ストーリーについてはまったく前情報を入れないでとりかかれたのだけど、前にG線の感想か何かを見た時に「あんな伏線があったとは」みたいなのを見てしまったのでなんとなくそういうのを意識しながら進めるハメになったのは少し悔やまれるかなあ。

 

 

 

で、まず最初に主人公モリケンによるこの世界の統治のされかたについて説明があったわけだけど、こういう世界観すっごい好きです。

 

やりすぎと思えるくらいに国や組織が、それぞれの価値観や道徳観に任されていた生活の「個人の自由」とされる部分にまで介入・指導してくる仕組みがある世の中。

 

罪の種類に合わせて、それぞれ厚生させる為の罰が異なる。

 

さちが時間の大切さを知るために活動時間の制限、

 

灯花は家庭の事情によって親の言うことを絶対に聞かなければいけない、

 

なっちゃんは男をたぶらかした(という濡れ衣)で異性に触れてはいけない制限、

 

モリケンのお姉ちゃんは反逆者の親族として、極刑を受けて誰からも認知されず、いないものとして扱われる制限、

 

 

こういう奇妙な設定というか世界観すごい好き。

 

 

 

それじゃ、パパッと印象に残ってるセリフを並べつつ感想をば

 

 

法月

 

万物は流転する。そこに多少の善悪があろうとも、今日も太陽は東から昇ってくる。

それはまるで、車輪のように・・・

 

お話の中で初めて「車輪」って言葉が出たシーンで、これはさちの2章ラストだったかな?

 

 

お前らはそうやって、すぐ、わかりやすい悪に飛びつく。いつでも誰かに責任を取ってもらおうとする。

 

国が、資格が、こんな特許が、親が、信頼する友人がこう言ったから・・・・・・すぐ、安心し、思考を停止する。そのくせ、裏切られたときには、豚のようにわめき散らす。

 

法月はすごくいいキャラしてましたね!

冒頭の、こっちはまだ世界観を掴みきれてない時に、高等人試験に遅刻してきた女の子をいきなり撃ち殺したり、モリケンに「お前はいつ一流になるんだ?」っていきなり質問してきたり、ぶっ飛んでますw

 

 

まな

 

まなのお姉ちゃんは、すごいんだよーっ!

 

賢一みたいな優しい人は、ときどき人をダメにするんだよ!

まなのお姉ちゃんは、まながいないくらいでダメになっちゃうような、そんなよわっちぃ人じゃないんだよぉっ!

 

 

モリケンのお姉ちゃんは別として、他の3人のキャラにはそれぞれ抱えてる問題があり、それをモリケンが協力して克服していくのだけど、2章のさちの話がすごい良かった!

 

昔賞をとった絵を盗作と叩かれて、頑張ることが嫌になり、やけになってたさちがあそこまで頑張ってまなの為に絵を描くようになって・・・

それだけじゃなく、さちがもっと成長できるように、さちの為に、大好きなさちとの別れを選ぶまなの強さ!

すごくグッときました。

 

あの展開は絵が奇跡の完成を迎えて、まなが残る展開だと思ったのに予想の上の上な展開で鳥肌たったなー、幼女すごい。

 

 

さちEDの、成長したまなが会いに来て

 

こんな日が来るのを信じていましたから。それだけを夢見て、いままで生き抜いてきましたから。

 

逆に言えば、この日が来なければ、私はずっとあなたたちと会うつもりはありませんでしたよ。

 

ってセリフもすごくグっときたなあ。

 

 

世の中には、いい加減に許されると、許された本人が一番困ることがたくさんある

 

2章でモリケンがさちに対して思ったこと。

 

これ、突き放す側もすごい難しいよね。

その時限りで見れば冷たい人に思われるからなあ。

 

とにかく2章の最後のまなとさちのやりとりは「ここで厳しくしないと、お姉ちゃんは成長する機会を逃してしまう、とても重要なタイミングなんだ」っていうまなの意思が感じられて、その判断力もさることながら意思の強さに圧倒されたなあ。

こういう、突き放すことで相手が成長できるかもしれない機会って、その成長できる可能性の度合いが大きいほどダメだった時の心の折れ方、ダメージは大きいものだと思う。

まなはさちを信頼して絵にダメ出しをして、自分はどこかに連れていかれてしまうのを受け入れるわけですよ!

 

幼女すごい。

 

幼女すごい!!!

 

ほんとさちEDでまなが会いに来てくれる終わり方はよかったすなあよかったすなあ。

 

 

京子さん

 

人間の時間は限られているのだから、才能のないことをしてはいけないのよ

 

灯花に対して、京子さん厳しすぎるでしょ!ってシーン。

 

 

で、そんな京子さんに対してのモリケン

 

人がこんなに弱くていいのだろうか

 

ってシーンがあったけど、ほんと京子さんのメンタル不安定さ半端なかったすなあ・・・

灯花ちゃんの全てを許す優しさで事は収まったけど、2章のさちとまなが凄く強い姿を見せてくれたから、それと比較しちゃってなんとも言えない気持ちになったなあ。

 

 

灯花

 

世の中は、たとえどんな社会でも、知識と教養があって、決断力と行動力があるような、頭のいい人たちが支配してるんでしょう?

 

私のような頭の悪い人は、ずっと利用されて生きるんでしょう?

 

でも、気づかなければ、幸せだから・・・・・・そういった頭のいい人たちに、いっつも責任を取ってもらえれば、すっごい楽ちんだから・・・・・・

 

親の命令に絶対従わなければいけない制限を受けて育ったから、自主性や決断力に欠ける灯花ちゃん・・・

うーん、杏子さんだけじゃなく灯花のこの言葉もまた、なんて弱い考え方だろうか・・・と思った。

 

 

どちらかを選ぶと、選ばれなかったもう一方が悲しむというのなら・・・

 

私は一生子供でいい!

 

 

そんな灯花ちゃんが「選ばないことを選ぶ」シーン。

自分なりの答えを見つけようって前向きな感じが良かったすなあ!

 

あと、灯花ちゃんは舌っ足らずな「ぶっ殺すぞ!」がかわいかったですね!

発音だと「ぶっこぉすぞ!」になっててね!!

でもモリケン以外には聞こえてないのはなんだったんだろう・・・w

 

あとモリケンの戦闘力マジパネェですね。

京子さんが連れてかれそうになった時とか、他にも色んなところで南方戦争から生きて帰った片鱗を見せつけますなw

 

 

日向夏咲こと、なっちゃん

 

夏が来て、暑くなって、少しだけ雨が降って、田んぼは青々しくて、風が吹くと緑の匂いがして、ケンちゃんみたいな友達がいて・・・・・・なんにも変わらないけれど、それだけでもいいんだよ。

 

上手く言えないけど、楽しいことなんて、たくさん転がってて、気持ちいいことは簡単に見つけられて、笑い声はどこからでも聞こえて来るんだよ。

 

 

幼女時代はこんなこと言ってたのに、

 

 

夏が来て、風が吹いて、暑くなって、毎日学園に通って・・・・・・・・・

 

なにか面白いことがありますか?

 

なにも期待せず、誰にも頼らずに・・・生きていくんです・・・・・・

 

って・・・。

すっかり根暗少女になってしまい再開したモリケンにこんなこと言っちゃってるのに、地下の部屋で法月を前にいきなり「そうです!私はケンちゃんのことが大好きです!!」とか言い出したあたりはちょっとビビりました。

うーん、正直なところこの部分は展開に着いていけなくなってしまったかなあ自分・・・

 

 

さち→灯花ちゃんと順に思いいれを書いたので、次はなっちゃんのことを何か書いておこうかと思ったけど、そんなわけであんまり思い入れがない・・・

 

 

なっちゃんの話のところで、むしろ灯花ちゃんの

 

 

「夏咲のためにも」とか、「お前のためにも」とかね・・・誰かのためにって口に出すのは、なんか変だなって

 

うーん、本当に誰かのためにって考えている人は、きっと、そういうのを口に出さないと思うんだよぉ・・・・・・

 

 

ってセリフで灯花ちゃん株が上昇したくらいだったものなあ。

これは灯花ちゃんルートでだけ言うセリフだったかな・・・?

うろおぼえ。

 

あとはルートがあるキャラでふれてないのはモリケンのお姉ちゃんだけど、特段思い入れないかなあ・・・。

 

あ、でもあの登場シーンは良かった!

叙述トリックっていうのかな?

ほぼずっと一緒にいたようで、灯花ちゃんと京子さんとモリケンでお寿司を食べた後に、モリケンがお土産用のお寿司を持ち帰るシーンがあったのもこういうことだったのか!って思った!

 

 

こんな感じかなー?

あ、あとあと、最後の地下に閉じ込められたところでモリケンが「ハーブくれぇ!」ってなったところはバッドエンドかと思った!

法月とのこういう騙し合い要素は面白かったなあ。

 

 

ではでは、だらだら綴ったけどこの辺で!

 

そのうちG線上の魔王もまた遊びたいなー!

SWAN SONGプレイしたので

感想というか、考えながらその瞬間の思いつきを文字にした何かです。

 

 

 

まずはこのゲームで一番好きなシーンで、タノさん!

 

俺は言葉を待つひばりんに、言った。

 

いつからだったかわからない。ずっとそう思っていたことだ。せめて、伝えるだけでもしておきたかった。思いというのはきっと誰かに伝えるためにあって、そしてそれ以外の何の意味も求めないものが一番純粋でキレイなものだと思うからだ。

 

願いが叶うことがなくても、きっとこの場面で俺がそう言ったという事実が、普通の言葉でも特別な意味を付け加えてくれるだろう。

 

いまこれから迎える瞬間を思うと、胸が躍った。きっとこの至福の刹那に全てを捧げるためだけに、俺はこの苦しい地獄のような世界を生き抜いて来たんだ。そう考えれば、何もかも肯定できそうな気がするんだ。

 

 

もうね、タノさんかっこよすぎるでしょ!

ほんとに人間か!?

 

タノさんは途中で裏切ったり、実は腹黒いやつなのかと思ったけどそんなことなかったですね。

クワガタとの対比がすごいというより、むしろタノさんがこんなだから側にいたクワガタがあそこまで自分を追い詰めてしまったんじゃないかな・・・

 

 

続いてひばりちゃん!

 

序盤のシーンで

 

「ダイエット!そんなの、もうどうだっていいのよ。あたしな気が付いたの、ダイエットなんかバカバカしいわ。人生って悔いを残しちゃいけないんだよ。だから、お腹一杯好きなものを食べることにした!

明日が見えないこんな時だからこそ、瞬間瞬間を、もっと楽しんでいかないとだよ」

 

とか、佐々木柚香へ思いを寄せるクワガタに対して

 

「私はいつだって弱い者の見方だよ」

 

って言うシーンがあったけど、最後には学校の人たちを説得しに戻ったり、この子はほんっと~に最初から最後までブレなくて、自分の感情に正直で、すごく良い子でしたね。

タナさんとのセクロスシーンの後にタノさんが「ひばり~ん」って呼ぶと「なんじゃらほい」って応えるシーンかわゆすですね。

 

殺伐としたシーンがおおいこのお話の中で数少ないまったりしたシーン。

その中でもなんじゃらほいは一番好きです。

 

この二人ならきっとツライことだって共有して乗り越えていけるだろう、学校を出るはめになったけど、これで良かったんだって思えました。

タノさんとひばりんはこのめちゃめちゃに壊れてしまった世界に残された良心やで!

 

ほんと、まさかクワガタが追ってきてタナさんが無惨に殺されるとは思いもしなかったですよ・・・

 

 

柿崎医師

 

「しかし、いまのきみは、あの素晴らしいピアノを捨ててしまったのだと言う。なんだか、私の感動自体が馬鹿馬鹿しいものだったような気がするよ。あれは勘違いだったのだろうか」

 

このシーンで、なんでツカちゃんは柿崎医師に事故で右手の握力がほとんどないけど、それでもピアノは続けているんだって事情を説明しなかったんだろう?

普通に考えたらそれでもピアノを続けてるツカちゃんの現状は褒められるか同情されるかはされても避難されることはないよね?

 

 

この中盤のシーンだけだと疑問しか浮かばなかったのだけど、後半に出てくるツカちゃんの父親の話しや、怪我をしてしまいどうあっても昔のように超絶的なピアノが弾けるようにはならないだろうとわかっていても、今でもピアノを弾いている理由に関係があるのかな?

そんな後半でわかってくる要素を足して、僕なりに考えてみた。

 

昔のツカちゃんは他人の為、音楽に奉仕する為にピアノを弾いていた。そんな外へ対する意識に、ドイツでの医学研究が思い通りにいかず自暴自棄になっていた柿崎医師は鼓舞された。だけど、今の自分は昔の自分や諦める心に負けたくないからピアノを弾いている。理由はどうあれ、今の自分は自分自身の内側に向けてピアノを弾いているのであって、他人に何かを残すものではないから・・・ということなのかな?

 

それでも、この後柿崎医師はそんな思いを抱いたまま殺されてしまうし、ツカちゃんは事情を説明するべきだったと思うんだよなあ・・・

 

 

 

そんな尼子司ことツカちゃんのセリフで印象に残ってるのを上げると

 

 

このままピアノなんか続けていたって、僕の一生はただ無駄な努力を積み重ねるだけのもので、なす事もなく死んでしまうのかもしれませんが僕はそれでもいいと思っています。もし多くの人が、生きていることの意味は幸福なのだと考えているのだとすれば、僕は、そういう普通のあり方とは随分離れてしまっているのでしょう

 

 

でも、幸福ってなんなんだろう。

少し考えてみて、今思いつく幸福の定義って、何かを成し遂げたり、手に入れたり、そんな時に起こる「自分の感情が正の方向に大きく触れること」が幸福なのかなと。

僕にとっては、例えば美味しいものを食べた瞬間から、その感覚が消えるまでの間も幸福のうちに入るかな。

 

 

 

 

どうしたらいいんだろう。何もかもが無意味だって、どうしようもなく虚しいんだって、そんな感じがたくさん溢れて、どうしても止まらないんです。

こんな世界に私は生き残ってしまって、みんなが大事にしていた貴重な生命を、私なんかが無事のまま持たされて、だから大事に生きていかなくちゃいけないって、私にはその義務があるんだって、それはわかるんです。でも私には、ここで生きることの意味が、どうしてもわからないんです。

生きていることを、喜べないんです。

だって、こんなものを見せられたら、なおさらじゃないですか。何を喜べって言うんですか?

私なんかが、どうしてここに・・・

 

 

こんなことを考えている佐々木柚香と、ツカちゃんの最後のシーンでの問答もすごく印象に残ってるなあ

 

 

尼子司

「醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしいです。幸福じゃなくっても、人の一生は素晴らしいです。」

 

佐々木柚香

『それはやっぱりきれい事ですよ。尼子さんは何も知らない。私には、無理ですよ。何も素晴らしいなんて、思えないです。』

 

尼子司

「もっと公平に考えれば、思えるようになるはずです。

勇気がたりないだけです。」

 

 

 

うーんうーん、よくわからない・・・。

「もっと公平に考えれば思えるようになる。勇気が足りないだけ。」ってどういうことだろう?

多くの人が幸福を望んでいるから、幸福を望まないといけないような気になっているけど勇気を出して幸福を望まない気持ちを持てば、他人に対しても自分自分に対しても幸福や成功の度合いで上下を付けずにどんな人間でも素晴らしく思えるようになる・・・ってことなのかな?

 

なんだろうこれ・・・

幸せって人それぞれで、その人が良ければそれでいいんじゃないのって思ってたけど、そもそも幸せを感じないといけないって価値観自体が外から入ってきたモノってことなのか・・・

 

 

もんもんと考えてたら、最近見たこのツイートを思い出した↓

 

 

準惑星という分類ができた当時は、「冥王星は何も悪いことしていないのに準惑星に『降格』されてかわいそう」という声(ネタでもマジでも)を何度か聞きましたけれど、マジレスしますとかわいそうでも何でもありませんのよ。人類が人類の都合で何を決めようと天体は泣きも笑いもしませんわ。』

 

 

それとアサシンクリードってやったことないけど、1つだけ知ってるセリフがあって

 

「真実はなく、許されぬことなどない」って言葉もふと思い出したり。

 

 

 

順番を最後にしたけど、忘れてはならないのはこのお話の中で一番人間らしさを感じたクワガタ!

 

僕だけが頼りにされてしまったんだ。

こんなのは生まれて初めてじゃないか。

小池希美はボクを信じきっている。本人がそう言っていた。

ボクなんかしか頼る相手がいないという。その事実一つをとっても、彼女の状況は十二分に憐れむべきものに感じる。ここでボクがその信頼に応えられなかったら、いよいよ彼女は悲惨だ。それはいやだな。大げさに言えば、これはきっと使命なんだ。

 

 

中盤で小池希美を助け出すシーンの時に理由もなく少女が悪意にさらされることに憤っていたクワガタ。

そんなクワガタが自分の手で小池希美を殺すシーンは、タノさんが殺されてたシーンと並んで、このお話の中でも特にひどいシーンだったなあ・・・

 

序盤~中盤あたりまでクワガタの中にあったモラルって、大多数が決めた"ルール"だからそうあっただけなのかな。

ツカちゃんとタノさんがこのめちゃめちゃな世界でも人間離れした落ち着きや対応をとるものだから、クワガタがんばれ~!ってなってたのに段々黒くなっていったから、序盤の応援を返せ!ってなりましたw

 

 

それにしても、タノさんとの決闘シーンでタノさんが刀を拾おうと屈んだら撃ってきたり、清々しいくらいに根は卑怯なやつだったね!

 

 

そうだ、それとツカちゃんとクワガタのやりとりで印象に残ってる問答

 

 

クワガタ

『そうさ、おかしいんだろ?僕の無様なところ、嗤っちゃうよね?』

 

 

尼子司

「僕が嗤うわけないです。それに、違うじゃないですか。

あなたを脅かしているのは自分自身なんです。あなたを嗤ってるのも自分自身だ。僕たちじゃない。あなたは、自分の思考に怯えているんだ。」

 

 

 

このツカちゃんの言葉は、佐々木柚香に対しての言葉と同じ意味に思える。

よくわからないけど、禅問答ってやつなのかな?

何が幸福なのか、そもそも幸福を求めないといけないのか、何が愚かで無様なのか、そもそも愚かで無様であってはいけないのか・・・それらは自我によって意識されること。

 

うーん、考えてたら頭が痛くなってきたw

 

 

難しいのはこんなところにして、こいつぁ・・・・!!と思ったシーン!

 

 

クワガタさんは、とても汚くて、みじめだから、だいすき

 

 

小池希美!

おまえなーっ!

自分が汚されたからってなーっ!!

クワガタをなーっ!!!

わーーーーーっっ!!!!!

 

 

それと星野綾さん!

竜華樹様の側近だね!

 

馬鹿にしているわけではありません。彼らは善良かもしれませんが、切実ではないと言うだけの話しです。彼らにとっては、希望なんてものは、古くなったら履き替える靴のようなものにすぎないのです。竜華樹さまが、彼らに古靴のように履き潰されてしまうのは、それこそ馬鹿げたことです。気にすることはないですよ。彼らは放っておいても別のものを拾い出します。

 

 

あー、うー・・・ん。

またこ難しいことを考えられそうなセリフが印象に残ったセリフメモにあった。

竜華樹様がここまで着いてきてくれた信者を見捨てるわけにはいかないって言うシーンだね。

けど、ここはスルーしよう!

もうさっきの幸福やら自我やらの話で頭の中の引き出しがごちゃごちゃなのだよ!

 

 

 

まあこんな感じですかね!

今回は、お仕事場でひょんなことからSWAN SONG話しができる人を発見して、プレイした翌日にその人と感想言い合ったりできたので人に話したい欲はだいぶ解消されてたのだけどね。

 

いちおうプレイ中に印象に残ったセリフを少しだけEvernoteにメモったのがあって、人に話したい欲は収まってるし文章にするのは面倒だなあとか思ってたら、一週間くらいでプレイ中に思ったこともけっこう薄っすらしてきちゃって・・・

 

このままなくなるのは残念だなあと思って頑張ってだらだら書いてみましたよ。

 

まあ、全くまとめられてない散文だけど自分用ってことで。

 

 

ゼロ・グラビティを映画館で見た感想

3D 上映のものを観てきました。

スクリーンも音もすごく大きく、3Dということもありすごく引き込まれました。

衛生の破片が吹っ飛んできた時に、すごい臨場感で2回くらい顔を反らしてしまいましたw

 

なんというか、視点が主人公のライアンになるシーンがたくさんあって、劇場だとたまにライアンになりきってしまうくらいの臨場感だったのですが、家でたらちょっと映像的には退屈してしまうかもしれないですね。

ゼロ・グラビティを"観た"というか、"体験"したという感じでした。

 

そんな感じで映像描写が一番の売りなんだと思いますが、1つだけすごくグッときたシーンがあります。

やっと乗り込んだISS(宇宙ステーション)の燃料が切れていて動かず絶望的な状況!

藁をも掴む思いで無線通信を送ると、宇宙事業とは全く関係ない地上のどこかとつながる。向こう側では赤ちゃんの声とそれをあやす親の子守唄が聴こえてくる。

 

宇宙事業とは全く関係ないところだし向こうは英語が通じてないような感じだけど、それでも地上と繋がったわけだし何か行動を起こせばどうにかなるかもしれない!

 

って僕は思ったのですが、ここで主人公のライアンはコックピットへの酸素供給を停止させ、照明を落としてしまう・・・

地上と繋がったとはいえ言葉が通じず相手は自分側の状況をわかっていない。やはり絶望的な状況であることはかわりなく、残された手段の中でせめてマシな死に方をしようとしたわけですよね。

もう、ここのシーンはすごく絶望しました。

マットが自分の為にあれだけ安心させる為の言葉をかけてくれて、最後は犠牲になっていったのに諦めてしまうんですよ・・・

 

って思ってたら、なんと、ここでさっきライアンを生かす為に犠牲となったマットが突然現れて、「燃料切れでも動かすほうほうがあるんだぜ、さあ行こうか」みたいなことを冗談飛ばしつつ陽気に言う!お、お前生きてたのか!?えぇ!!?

と思ったら、それはライアンの見た幻覚・妄想でした。

やっぱりそうだよなあ・・・とも思いましたが、これって自分の為に犠牲となったマットの為にも絶対に生きて地球に帰還しなきゃいけないという意思の現れだったんだと思います。

 

絶望的な状況で、最もマシな死に方に手を伸ばしかけたけど、ギリギリのところで踏みとどまり、自分の為に犠牲になった人のことを思い出して悪あがきをする。

そんなライアンの姿と、マットの思いが報われるこのシーンにすごくグッときました。

 

2時間ほどのお話なのでなかなか感情移入が難しいと思いますが、劇場3Dでは視覚効果のおかげでかなり感情移入して見ることができました。

 

最後に地球に戻ってきたシーンでも、このままじゃ湖(?)に溺れて死ぬ!やばい!!と思って、観ながら少し腰を浮かせて、自分が上に向かおうとしかけてしまいましたw。