ゼロ・グラビティを映画館で見た感想
3D 上映のものを観てきました。
スクリーンも音もすごく大きく、3Dということもありすごく引き込まれました。
衛生の破片が吹っ飛んできた時に、すごい臨場感で2回くらい顔を反らしてしまいましたw
なんというか、視点が主人公のライアンになるシーンがたくさんあって、劇場だとたまにライアンになりきってしまうくらいの臨場感だったのですが、家でたらちょっと映像的には退屈してしまうかもしれないですね。
ゼロ・グラビティを"観た"というか、"体験"したという感じでした。
そんな感じで映像描写が一番の売りなんだと思いますが、1つだけすごくグッときたシーンがあります。
やっと乗り込んだISS(宇宙ステーション)の燃料が切れていて動かず絶望的な状況!
藁をも掴む思いで無線通信を送ると、宇宙事業とは全く関係ない地上のどこかとつながる。向こう側では赤ちゃんの声とそれをあやす親の子守唄が聴こえてくる。
宇宙事業とは全く関係ないところだし向こうは英語が通じてないような感じだけど、それでも地上と繋がったわけだし何か行動を起こせばどうにかなるかもしれない!
って僕は思ったのですが、ここで主人公のライアンはコックピットへの酸素供給を停止させ、照明を落としてしまう・・・
地上と繋がったとはいえ言葉が通じず相手は自分側の状況をわかっていない。やはり絶望的な状況であることはかわりなく、残された手段の中でせめてマシな死に方をしようとしたわけですよね。
もう、ここのシーンはすごく絶望しました。
マットが自分の為にあれだけ安心させる為の言葉をかけてくれて、最後は犠牲になっていったのに諦めてしまうんですよ・・・
って思ってたら、なんと、ここでさっきライアンを生かす為に犠牲となったマットが突然現れて、「燃料切れでも動かすほうほうがあるんだぜ、さあ行こうか」みたいなことを冗談飛ばしつつ陽気に言う!お、お前生きてたのか!?えぇ!!?
と思ったら、それはライアンの見た幻覚・妄想でした。
やっぱりそうだよなあ・・・とも思いましたが、これって自分の為に犠牲となったマットの為にも絶対に生きて地球に帰還しなきゃいけないという意思の現れだったんだと思います。
絶望的な状況で、最もマシな死に方に手を伸ばしかけたけど、ギリギリのところで踏みとどまり、自分の為に犠牲になった人のことを思い出して悪あがきをする。
そんなライアンの姿と、マットの思いが報われるこのシーンにすごくグッときました。
2時間ほどのお話なのでなかなか感情移入が難しいと思いますが、劇場3Dでは視覚効果のおかげでかなり感情移入して見ることができました。
最後に地球に戻ってきたシーンでも、このままじゃ湖(?)に溺れて死ぬ!やばい!!と思って、観ながら少し腰を浮かせて、自分が上に向かおうとしかけてしまいましたw。