宴もたけなわ

思い立ったら書きます。

そして明日の世界より追記

あすせかのあの、どのルートに行っても壊れてるようなまだ壊れてないような日常を過ごすシーンがかなり長くてプレイ中は疲れたのに、振り返ってみると何か一貫した説得力があったような気がするのはなんだったんだろうなあって思ってたら、Wikipediaに答えがあった。




舞台は周囲を海に囲まれた、風光明媚な小さな島。
そんな静かな島で、主人公・葦野昴は幼馴染みや親友たちと共に静かな学園生活を送っていた。
そんなある日突然、衝撃的なニュースが飛び込んでくる。
「―この地球に3ヵ月後、小惑星が衝突し、世界は終焉する」
突然の世界の終焉を目前に彼らは戸惑い日常を失いかけるも、現実を受け入れ次第に落ち着きを取り戻し、終焉を迎えるまでの間それまでの日々が続くものだと思っていた。
しかしそんな中、一つの朗報が知らされる。
各地に地下シェルターが建造され、抽選の結果、昴がそのシェルターに入る権利を得られたのである。
目の前に生存する道が示されたことで昴と家族は歓喜するものの、シェルターに入れるのは昴のみ
それはつまり、家族・幼馴染み・親友といった自分を取り巻き形作っていた、『自分が自分でいられる』人々との別れを意味するのであった…




ふーむ・・・



自分が自分らしくいられる為の要素って人それぞれだと思うんだけど、今の僕に置き換えるならプライベートの時間の大半をあててるギター・アニメ・エロゲらへんかな。

特に娯楽のない島で家族と一緒に住んでて、夕陽や青葉たちと毎日多くの時間を共有することをとても大事にしてるがんちゃんの場合は「人」がその対象なのに、一人趣味がここで上がってしまうのは少し悲しいけど、まあ今はそれがいいたいんじゃなくて・・・



自分が助かるには、そういう上に挙げたモノがない別の環境へ行かなきゃいけないっていうだけでも相当ツライものがあると思うんだよね。でもって、それが「人」だったりしたものだから、がんちゃんはシェルターに行けば死なないで済むけど、それでもその後の生活ってどうなんだろって。

もしシェルターに行っても、残りの人生を死んだように生きる可能性だってある。


がんちゃんがシェルター行きの権利を得たと知った時の朝陽姉ちゃんたちの反応は「自分たちを覚えていてくれる人が生き残ってくれれば、自分たちの人生は無駄じゃなかったと言える」って喜んでくれてたけど、大切な人達と離れて一人生き残ったとしたら、やっぱりダメージは計り知れないし、そんな託された思いもプレッシャーになるかもしれない。


なんてことも少し考えたり。



でもって、宗一郎じいちゃんの「何も変わっとらん」論や、「釣り名人が釣った大量の魚よりも、がんちゃんが釣った小魚を分け合いたい」とか言っちゃう夕陽たちの支えがあって、誰ともくっつかないルートの最後では「弱い部分も持っている自分を受け入れた上で、島に残る」ってことが「葺野昴でいる」ことなんだって、導き出したがんちゃん。



この「自分が自分でいる」って言うのと、その為に何が必要なのかっていうのが、この作品のすごく大事なところだったんだなあと。



僕は最初、何かしらのルートでは星が落ちてくるけっこう直前で悲壮感のあるやりとりをするEDもあるのかなと思ってたけど、この作品に込められたメッセージを考えるとそんなのいらないね。うん。



そういえば朝陽姉ちゃんのルートで、シェルター行きの話が出るより前に「葺野昴でいるのはツライ?」みたいなやりとりもあったっけ。

けっこう序〜中盤で、このテーマについての話が出てきてたんだなあ、なんて思い出した。


あ、あと今思い出したんだけど、がんちゃんがパパンの竜に夜の灯台で「お前は何者だ?」って聞かれて、すごく落ち着いて自分自身のことを話すシーンがあったけど、これもそういうことだったのか!



いやー、Wikipediaのあらすじ考えた人すごいわ