宴もたけなわ

思い立ったら書きます。

CARNIVALをプレイしたので、思ったことをだらだら書いた。

3年ほど前から気になっていたものを、ようやくプレイしたー。

というのも、Twitterでやりとりしてるあんくらさんという方とお会いして話をする機会があり、その時にキラ☆キラの話をしたらCARNIVALっていうのが同じ著者の作品なんですよーって教えてもらって、その時から気になっていたのです。

まあ今回も感想のような、ただ思いついただけのような、そんなものをだら~んっと書きます。

 

 

プレイ時間は13~15時間くらいだったかな?

一つ前にプレイしたそして明日の世界よりに比べるとボリューム控えめなのと、文章にクセがあるけど自分にはそれが小気味良くて、かなりサクサクと進められた。

 

 

で、プレイし終えた時の感覚としては、ボリューム控えめだからなのかもしれないけど、そこまで感情移入できなかった。なんだか、出てくる人物それぞれ思うところがあるにしても、自分勝手なところがあったなあ。結局このお話はなんだったんだ・・・って感じでした。

3年ほど前から気になっていた身としては、前にやったキラ☆キラやSWAN SONGのほうが心にぐっと来たかなあって。

 

それと、僕は戦争ものの映画なんかで無抵抗な捕虜が腹パンされるシーンとか物理的な痛めつけシーンがけっこう嫌いなんですが、CARNIVALでも主人公が三沢先輩に殴られるシーンだったり、逆に主人公が暴力を奮うシーンがあったので、少しうごご・・・となっちゃったのよなあ。

 

 

 

主人公の学(それと武)は片親で、その母親には理不尽な暴力を奮われて幼少期を過ごし、理紗は父親に普通の親子ではない関係を求められながら育った。

うーん、さっくりと振り返ってたらみたらものすごく暗い話だなあ。

なのにそこまで暗いお話って感じがしなかったのは、あの独特な学の一人称のせいかしらん。

その独特な一人称のせいであまり感情移入できなかったというのもあるけど・・・

 

 

で、このお話は結局なんだったのか・・・

名作とか、かなり高評価な意見をちらちら目にしたことがあるので、そういう風に言われてるお話に何も自分の感想がないのはなんだか悔しいぞ。と、悶々と考えているわけだけど、、、なんだろなーなんだろなーと考えてるわけだけれど、、、「これだ!」っていう答えは出てこないなあ・・・

 

少なくとも今の自分の人生経験やモノの考え方、今回CARNIVALをプレイした精神状態では。

劇中のセリフを借りて、『答えがないのが答え。今のトコロは。』て感じかな。

こんなセリフがCARNIVALの最後のほうにたしかあったはず。

CARNIVALはほとんどセリフをメモ取らずプレイしてて、このセリフも一語一句間違えずにて訳ではないけど。

 

うーん、でも今のトコロは本当にこれでいいかなー。

またそのうちプレイし直すと違ったことを感じるかもしれないし。

もう1周プレイする楽しみが残ってていいだろうワハハと考えておこう。

 

 

 

せっかくプレイしたのにこれだけで終わるのも勿体無いので、どうして感情移入できなかったのかももう少し考えてみた。

 

前回のあすせかの感想で、醍醐味の部分ではないけど最初のほうの、ほのぼのした空気も良かったって書いてたんだけど、要するに今自分が欲しているのはこういう重いお話じゃなくてもっとほのぼのした生死が関わらないお話なのかもしれない・・・?

 

それと、このお話が最初から暗い話で始まったからかもしれないなあ。

ひぐらしでもあすせかでも、シリアスな展開の前にかなりしっかりと日常や、少なくともその時点では当たり前と思える世界を見せてくれてて、それが壊れていってしまうことに主人公たちと一緒に苦悩することで感情移入ができる作品を自分は好きになりやすいと思っているんだけど、この話はもう最初っから人殺しをして逃げるとこから始まるので、唐突すぎてそんな感じになれなかったのかも。

 

 

あとは、自分は今現在、そこまで自分の存在理由や価値を追い詰める精神状態ではないし、CARNIVALの登場人物に自己投影するような経験も今のところしていないかなって。

そして、これからそういう経験をする自分というのが、今の自分には想像できないからかなあ。

裏を返すと、このお話に同調できる人のプレイ時の精神状態か、過去の経験は、かなり重いのではないかなあってことになってしまうんだけど・・・

なんだかこれについてはぐだぐだ書くと失礼なことや、とても痛い発言になりそうなので自重しよう・・・。

 

 

あーっ、後はなんというか無理やり入れた感じのエロシーンのせいかもなあ。

今までやったエロゲのエロシーンは7割くらい飛ばしてて、エロを求めてはいないのだけど、詠美のエロシーンが何度かあるのはまあいいとして詠美の妹のマリちゃんとか、あの婦警とか、「あーっ、そうかこれはエロゲーなんだよなー!」というのを認識させられるシーンが多いこと多いこと。

おそらくそういうのがちょこちょこと入ってくるのもお話に没頭できなかった原因かもしれない・・・って、エロゲだからこれは仕方ないか。

こってり系ラーメン屋さんで脂っぽいって文句言ってるようなものだものなあ・・・w

 

 

 

後はてきとうに数少ないメモっておいたセリフとかを貼って終わろうかしらん。

 

 

木村学

 

このまま僕は駄目になってしまうのかしらん。もう既に駄目になっているのかしらん。自分が駄目になっているかどうかを、判定する自分も駄目になっているのだとしたら、一体何を基準にして考えたらいいのだろう。

 

 

 

 

学「もう、後戻りは出来ないね」

 

理紗「うん・・・そうね」

 

学「ごめん」

 

理紗「あやまらないでよ。私は平気だよ」

 

 

詠美を監禁した後のシーンで、ここは理紗もかなりおかしいなΣって思った

 

 

 

 

「うん、私もう帰らないから。大丈夫、別に友会とかじゃないし。うん、学校とか、そういうのの手続き、悪いけどよろしくね。・・・ほら、可愛い子には旅をさせろっていうじゃない。

私、やること見つけたんだ。大丈夫心配しないで。

・・・じゃあね、バイバイ」

 

彼女は携帯の電源を切る。

しかし、すぐに着信が来て、彼女は、その音がなっている携帯を、鮮やかなオーバースローで放り投げた。落ちていく携帯電話の着信音は、家族の悲鳴、呼びかけ。

叫びつづけながら川に落ち、音は聞こえなくなった。

「ほら、大丈夫!親の了承取ったよ!」

 

 

渡会さんルートで、渡会さんが学についていく事を決めて、

母親にもう帰らないことを告げる為に電話する夕暮れのシーン

キラ☆キラでも確か携帯を捨てるシーンがあったと思うんだけど、目の前のことだけに集中するんだ!って、ノーフューチャーな感じがして良いなあ。

 

 

 

 

 

詠美『私が、九条理紗・・・さんのことを、どうして気に入らなかったのか・・・』

 

武『なんで?』

 

詠美『九条さんは、学校でも人気があって、それが嫌で・・・』

 

武『嫉妬してたのか?』

 

詠美『・・・はい、そうです』

 

武『へー、でも、お前は、学校で一番人気だったんじゃねえの?』

 

詠美『・・・確かに、そうだったけど。でも、少しずつ九条さんの噂ばっかりが増えるようになって・・・』

 

武『ふん、そんなのが気になるのか』

 

詠美『・・・はい』

 

武『わかんねえけど、そんなにみんなに好かれたいの?好かれてどうしたい?』

 

詠美『どうしたい、ってことは特になくて・・・』

 

武『じゃあ、なんで?』

 

詠美『・・・みんなが関心持ってくれると、嬉しいから・・・』

 

武『なんで、嬉しいんだ?』

 

詠美『・・・だって、誰も関心持ってくれなかったら、自分にはまるで何の価値もないような気持ちになって・・・』

 

 

詠美になんで学をいじめたのか、武が尋ねるシーン

 

生きる理由を他者・外部に持ちすぎてしまうとそういうのは際限がないもので、だんだん歪んでいくのかなあと思った。

て、ふと思ったんだけど、詠美は学や理紗とは対極の価値観を持ってるような?

でもやっぱり学と理紗も狂った部分があるし、極端なのがよくない?

この詠美と学・理紗の違いを考えると、いくらかCARNIVALのテーマがあるかも??

 

 

 

 

『母さんは、結局、田舎の大地主の家で何不自由なく育ったから、会社の勤め人の苦労っていうのが、よくわからないんだ。

お父さんがどんなふうに辛いとか、わからないんだよ。理紗なら、お父さんの子だから、わかってくれるだろ?

 

父さんは、母さんの実家の人たちとか、好きじゃない。父さんの父さんや母さんも、あんまり好きじゃない。いくら父さんが頑張って出世しても、それがどういうことだかわかってもらえない。理紗だけだよ、父さんの本当の見方は。』

 

 

理紗の父が幼い理紗に愚痴るシーン。

 

幼い子供が一番多くのものを得る相手は親だと思うので、すごーくイラッとしたシーンで印象に残った。

 

 

 

 

 

泉『結局、道徳のネモトを神様にむすびつけたものだと思うよ。たとえばね・・・』

 

・・・・・・・・・・

 

泉『要するに、善悪の基準は全部絶対の神が決めて、それに従う、人間は馬鹿だから思わず間違っちゃって苦しいこともあるけど、神はそれも全部赦してくれる。苦しいことは全部告白すれば赦してくれる。っていうのが、私が感じたキリスト教の印象』

 

理紗『思ったんだけど、泉ちゃんて、キリスト教、嫌いなんだねー』

 

泉『うーん、自分で善悪を決めるのが怖い人には必要なんじゃないかしら。とりあえず、私には神様は必要ないと思うし、神様の赦しなんかいらない』

 

 

理紗に、キリスト教について聞かれた泉の回答シーン。

 

なにか「これはこうだ!」って思ったわけではないけど、気になってメモってた。

 

僕の親戚がクリスチャンなのと、高校の時の同級生で家がキリスト教の教会って人がいたので、何度か礼拝に参加したことがあるしそれこそクリスマスの礼拝にも参加したことがあるけど、ちゃんと聖書読んだことってないんだよなあ。

 

このシーンを思い返しながら少し考えを巡らせてみると、これって、罪と、救われ方について書いてある本なのかな?って思った。

 

でもって、理紗にとっての神は学って認識・・・?

うーんよくわからない。

 

CARNIVALを機に聖書に少し興味が出てきたかな。

 

あんまり内容に触れてないような気がするし感想になってるのかわからないけど、こんな感じかなー。

 

あ、ふと思い出したけどシナリオ3の幼少時の理紗支点で、和室の壁が実は上まで続いておらず天井の当たりでは吹き抜けみたいになってることに気づいてなんでか嬉しかった~みたいなやつ。

ああいう、「幼い時にはそれに気づいたことがなぜか嬉しかった」って感覚は好きだなあ。

自分もそれに近い感覚は昔もってたような気がするからかな?

あの部分の文は、読んでて心地よい感じあったかなあ。

 

 

ああ、なんだかそんなことを考えてたら、別にお話を読み終えて何か納得するモノを得る、自分の中でレベルアップ(?)したような、そんな感覚をがんばって求める必要なんて別になくて、「なんか心地よい」だけでも別にいいのかなあって気がしてきた。

 

・・・のだけど、やっぱりCARNIVALって結局なんだったんだ?って考えてみたらからこんなことを思ったわけだし、お話を悶々と振り返ってみるのは疲れたり面倒な部分もいくらかあるけどそれなりに面白い発見もあるなあと思ったところで話がまったくまとまらなくなってきたので本当にこの辺で終わろうか。

 

 

 

あ、そうそう。

お仕事場の人に聞いた話なんだけど、某国のテロリストが動画サイトにアップしてる、生きてる人質の首をチェーンソーで切る動画があって、その人質の目がものっすごい諦めた目をしてるらしい。

僕は怖くて未だに見れてないのだけど、どーにも生きる気力を無くしてしまった時はその動画を見れば、生きてるだけでもマシだな!って思えて、生きる気力が湧いてくるかもしれないから、そうなった時に見てみようと思ってる。

CARNIVALはそんな「どーにも生きる気力がなくなってしまった時にやることリスト」に加えておこうと思った。

 

たぶんこれはそんな状態の時にやると、また違ったものが見えて来そうな気がするんだよなあ。